帰国子女のとある男子大学生が、1年間アメリカに交換留学しました。同時期に、たまたま父親もアメリカ赴任となり、留学中、ちょくちょく両親に会っていたようで、帰国後、彼はそれを、「自分は恵まれている」と表現しました。
この話を聞いて、留学って恵まれていていいのかな? これって恵まれた留学なのかな? とふと思いました。日本語を話す相手がいるのがいけないわけではありません。海外で安心・安全は大事です。ただ、両親という心の「安心」が手の届くところにあってはいけないように感じたのです。
きっと、多くのものを得たでしょう。勉強もがんばったでしょう。新しい価値観を知ったでしょう。英語力はさらにブラッシュアップされたでしょう。けれども、孤独感とハングリーな気持ちのない留学は、どこかぬるま湯だったのではないでしょうか。もっともっと、戦いであってもよかったのではと思ったのです。
そこにいる若者は、穏やかで協調性もあり、好感の持てるごく普通の日本の大学生でした。けれども、せっかく海の向こうの世界を見てきて、丸く小さくまとまってほしくないな、とも感じたのです。若者特有の生意気さや自信とともに、疑問や不安、迷いを内包する独特のエネルギーの充満した、未完成で荒削りな存在であってもいいのではないかと。
そう感じると同時に、とある50代の男性Sさんの話を思い出しました。
Sさんは、高校卒業と同時にアメリカへ留学。日本の大学受験に失敗しての渡米で、決して至れり尽くせりの留学ではなかったはずです。
Sさんは、東京ディズニーランドの草創期、その英語力を生かして、「ビッグサンダーマウンテン」や「スターツアーズ」といったアトラクション導入時に、米国のディズニーランドで研修を受け日本人初の公式トレーナーとなり、東京ディズニーランドでキャストたちをトレーニングする役目を担いました。
Sさんは、ルームメイトのアフリカ系アメリカ人に、黄色人種であること、その英語がたどたどしいことをバカにされ、「くそっ、いまに見てろよ!」と奮起したことが英語力の獲得につながったと言います。