あるとき、Sさんが、私たちに遅れて北京入りすることになりました。初中国のうえ、真夜中の到着。Sさんは中国語を話せませんし、中国のタクシーはまず英語は通じません。しかもそこは小さなホテルです。先に現地入りしていた私たちの「お迎えに行きましょうか?」の申し出にも、「そういうのは大丈夫だから!」。そして、周囲の心配をよそに、空港からひとりタクシーでホテルまでやってきたSさん。
中国出張を繰り返すビジネスマンだって、空港で中国人社員のお迎えを待つ人はたくさんいるのに。Sさんは、親に内緒の冒険を企てるいたずらな少年のように、こともなげにそれをやってのけ、なにごともなかったような涼しい顔をしてそこにいました。若いときのその経験が、初めての国だろうが、言葉が通じなかろうが、オレはどこでも大丈夫、という逞しさと自信の根っこになっているのでしょう。
二人の話を、私は自分自身に重ね合わせてみます。準備期間から数えると、現地法人設立から足掛け4年。国内業務の関係もあり、北京出張はほぼ私ひとりでこなしてきました。ときには怠慢で同行しなかったビジネスパートナー、4年間を振り返り、「キミをひとりで行かせてよかったよ」としみじみ。
電話やメールで相談はできるものの、すぐそこに、気持ちも能力も言葉も通じる味方のいないのは、ときに不安であり孤独です。日本人はいつだって自分ひとりの環境の中、「掩護射撃してくれる彼に決して心配かけたくない、必ずや限られた時間ですべての目的を果たして帰るんだ」と言い聞かせ、常に二人分の使命を背負い、毎回任務に当たってきました。
4年間の戦いを経て、私の戦闘能力、中国人と渡り合う力、中国人を使いこなす力は確実に進化しました。現場のドロ沼で揉まれてきたことと引き換えに、中国で起きる顧客のどんなトラブルも解決できるという不思議なパワーに支えられた自信と、中国の海を伸び伸びと泳ぐ自由を得た自分を実感します。もし恵まれた環境にいたら、私の中国ビジネス力は、決していまのレベルには到達しなかったでしょう。安心はあっても、飛躍的な進歩はなかったでしょう。頼れる者の存在は、ときとして自分をぬるま湯に浸からせ、戦いに必要な鋭利なカンを鈍らせてしまうからです。
戦場では、戦士は孤独でハングリーであってこそ、その潜在能力は引き出され、感覚は研ぎ澄まされ、困難を前に智慧を手繰り寄せ瞬時に判断し、窮地を脱出できるよう鍛え上げられていくのです。