木蘭の本当の美しさは、国の認定した景観区などではなくて、「中国の北海道」の風景そのものです。AAAA級は間違いナシでしょう。
そして、この土地でいちばんいいと思うのは、人のよさです。
もちろん、悪い人間もいるでしょう。けれども、全体として、街の人たちがとっても大らかで朗らかなのです。たとえば、北京では、外国人を見下すような態度をとる人や、よそ者を受け入れないという雰囲気の人も多いですし、カメラを向けると怖い顔したり、撮ったものを消せと言う人もいるのですが、ここは違います。
食堂のオーナーも駄菓子屋のお姉さんも、三輪タクシーの運転手さんたちも一見コワオモテの四輪タクシーの運転手さんも、青空市場で店を広げる一家も川沿いを散歩するカップルも、トラクターの荷車に乗った農作業の人たちも、男性も女性も、大人も子どもも年配者も、なにを聞いてもニコニコと親切、カメラを向ければ、愛想よく手まで振って応えてくれる人多数です。
今年、コンパクトデジカメからミラーレス一眼に替えて、カメラ女子として精進中の加藤、おしゃべりしながらスナップ写真を撮るのが好きなのですが、カメラを向けて手を振られたのは、この土地が初めてです。
この明るさ、人なつこさは、いったいどこから来るのでしょう?
北京では、社会から追いやられているのか、年配者を街で見かけることが非常に少ないのですが、ここではマンションの集会所では婦人会?がトランプに興じていたり、通りの集会所は部室なのか、カラフルな衣装をまとったダンスシスターズ?がわいわいと盛り上がっていたりします。
カメラを向ければノリよくポーズ、そして、「いま撮った写真、見せて見せて♪」と少女のようにはしゃぎながら私をぐるりと囲み、それじゃ、送りますから住所おしえてください、と言うと、集会所の住所を書いてくれます。そして、ピンクや黄緑の鮮やかな衣装に身を包んだ踊り子さんたちは、愛嬌たっぷりに手を振り、いそいそと会場へ向かっていきます。
ここでは、年配者も社会の主役です。そう思わせるのは、服装のせいもあるかもしれません。
私は、年配者の社会での扱われ方やファッションで、その国や土地の豊かさといいますか、心の余裕がわかると思っているのですが、中国では、昔の日本のようにファッションは若者のものというところがあり、年配者は基本的にとても地味です。
けれども、冬の平均気温がマイナス何十度にもなる極寒の大地の女性たちは、短い夏を謳歌するかのように、若い人だけでなく、あらゆる年代が肌を太陽にさらし、思い思いにワンピーススタイルを楽しんでいます。昭和30年代の日本って、きっと、こんな感じだったのではないでしょうか。
服そのものは決してセンスがいいわけではないのですが、あちらこちらで見かける花々やお店の入り口の玉暖簾と同じようにカラフルなワンピース姿が、まぶしく清々しくノスタルジックな夏を感じさせてくれます。
人々の生活は、決して豊かではないでしょう。賃貸マンションの家賃は年間5,000元(約65,000円)、北京の中国人向けちょっと高級賃貸の1ヵ月分です。進学者は、きっと、ハルピンに出ていくのでしょうし、ここでは、農業か小さな商店、オート三輪タクシーぐらいしか職業もないでしょう。
けれども、夏という季節のせいでしょうか。どの人の顔も輝いています。太陽の恵みを味わっている喜びにあふれているのです。北の大地の夏がどれほど特別なものなのかということが、よくわかります。
つましくとも、日々を懸命に生きて、足るを知ることの幸せ。
今回の旅のおみやげは、自分の心に記憶された、素朴そのものの木蘭の人たちのたくさんのスマイル写真のコラージュです。今度ここに来ることがあれば、そのときはきっと、鮮やかな花柄のワンピースを一枚、スーツケースに入れましょう。