時間があったので、滞在中していたセドナホテルから比較的近いと思われるヤンゴン大学まで、歩いて行ってみようと試みた。けれども、途中で、険しい顔をした軍部らしき人に追い返されてしまった。あとで、JICAの人に聞いてびっくり。なんとそこは、スーチーさんの自宅近くだったのだ。また、今回の滞在を通して、フロントやベルボーイの人たち、朝食のバイキングのウエイターや卵料理担当の男の子たち、何度も足を運んだお店の女の子とは、すっかり顔なじみになった。頼んだことも、笑顔で喜んでやってくれる。いつも、礼儀正しくかつ人なつこい笑顔で応えてくれる。旅立ちの際、毎日顔をあわせた彼らと笑顔で”See you again!”と言い合い、胸が熱くなった。
ヤンゴンの空港に着いたとき、街を行くとき、椰子の実のなる道を歩くとき、私は、この風景、この匂い、この空気と似ているものを記憶の奥から手繰り寄せようとしていた。そうだ、学生時代に行ったスリランカだ。スリランカと似ているのだ。同じように、私は、トラックの音と匂いによってインドを、初夏の光と風によって北京を思い出す。そうした五感に触れるものによって、私の中のアジアの記憶がふと呼び覚まされる瞬間がある。今後、私は、なにによってミャンマーを思い起こすのだろう?
ミャンマーのいでたちのまま、私は帰途に着いた。ミャンマーの気分に浸っていたかったのだ。ミャンマーは、人の笑顔のあったかい国。可能性を秘めた国。治安もいい。あの国が事実上の鎖国状態であることは、本当にもったいない。一見恐い軍部の人たちも、仕事を離れれば、人なつこい笑顔で、自分のロンジーを持ち出して巻き方をおしえてくれる。個人はみな、限りなくあったかい人たちなのだ。だから、政治的な部分に触れなければ、そして、食べ物や健康に注意すれば、楽しい旅が約束される。
いつの日か、人が、経済が、自由に行き交うときも来るだろう。けれども、それまでに、少しでも多くの人に、いまの素朴なままのミャンマーを知ってもらいたい。そして、この国に対する気持ちをあたためてもらえたらと思う。私たちアジア人は、どこかで交差している。
私たちは、アジア人であることをもっと意識し、連帯して生きてもいいんじゃないかな。そう感じた旅だった。