平成の無責任男 がんばり編(2010/01)その2 May 29, 2013 (Wed)

離婚後11日目です。

これをどう真実の結婚だと実証するかも難題ですが、最も苦労したのは、「前妻に対する道義的責任」でした。

前妻とはなかなか連絡が取れず、最終的にはまったく連絡が取れなくなってしまったのですが、前妻の人生のためにもオーバーステイにならないよう、彼は帰国を促し、悶々と・・・

そして、彼の住所地の役所に聞いてみたところ、彼女がその住所にいるかいないかはおしえてもらえるということで、すでに一昨年12月に大阪に転居しているという事実が確認できたのでした。

けれども、結局は、昨年4月に在留期限の到来した彼女が、正規に在留しているのか否かわからないままの申請とするしかありませんでした。

彼は、その間、努力して転職もしました。自分の持つ資格を生かしたのです。

わずかですが月々の生活費も送っていましたし、カタコトの中国語で、奥さんに電話をかけ続けていました。けっこう複雑なことも一生懸命伝えていました。

カードでの電話なので通話記録はないのですが、いつ電話したということを5年手帳にメモしていると聞いたので、それもコピーして提出しました。

(日々積み重ねたメモは、裁判でも有力な証拠となるからです)

ちまちまと小さく、下手だけれども、彼の人のよさを表すような字。「(妻が)きょうは冷たかった」「怒ってた」など、ところどころに彼らしいコメント入り。

仕事のこと、友人と会ったこと、父を見舞ったこと、母にお金を送ったこと、ガソリンを入れた日なども記されています。前妻にいつ電話したかについても記録されています。もちろん、離婚後11日で結婚したことも。

不交付のうえ、結婚式も何度も延期になったのに、彼女のほうもよく耐えました。

大連での二人の様子や写真はもちろんのこと、彼女の電話口での言葉を、私はそのまま記述して提出しました。

「あのとき許可になっていれば、いまごろ彼の赤ちゃんを産んでいたかもしれないのに・・・」

「彼のことは気に入ってるの。でもね、こんなに待たされることが不安なの」

プラスの材料ですが、実は、彼は即応自衛官でもあり、また、地域の消防団活動にも長く携わっていました。

なぜ、本人はこういったプラス材料を出さないのか不思議ですが、これだけが、彼がまともな社会人であることを証明できる客観的材料でした。

つづく