「Mさんたち、いつも私の会社の実印預かろうとした。私、おかしいと思ったよ。でも、私、返されるたびに、実印変えたあるよ。前のところ削って新しく彫ってもらった。この印鑑カードは三つ目の実印のあるね」「へぇ~」とその用心深さにも感心する私。
「こういうのはどうかなぁ? こういう書類はいる?」。あのだら~っとしたSさんが、積極的にこれはと思う書類を出しては私に確認します。こんなSさんを見るのは初めてです。
そういえば、Sさんの日本語能力は、私が彼女の留学への変更申請を手がけた4年前より格段に進歩しています。そう褒めると、「そう? ほんと? 私ね、ゼミで1ヶ月北欧に行ったとき、周りの日本人同士の会話についていけなかった。それで、帰国後は、まじめになって勉強した。先生の口の動きとかよく見るようにした」
TVでドラマも必死に見たそうです。はぁ~、えらいなぁ~、と心から感心する私。「ねぇねぇ、Sさん、ちょっとこれ発音してみて」。中国語のanとang。発音や文法の勉強は一度もしないまま、聴いて覚えた中国語を適当に使い続けてきた加藤。彼女の口と舌の動きを見て、初めてその具体的な違いを知り、深く納得、霧が晴れたようでした。
「私、申請がんばるから、Sさん、きっとまた日本に来てくださいね。そして、私に中国語おしえて」「ほんと~? いいよ~。私の中国語ね、正しい発音あるよ。標準語よ」「ほんと~?」「加藤先生も、日本語おしえて。私、上海で通訳の学校にも通うかなぁ。英語も勉強するかなぁ」「それはえらい」
投資経営の打合せのはずが、途中からお友だちモードに脱線。しかも、今度の中国出張の際、上海で打合せる約束も。
「Sさん。日本には悪い人もいるけれど、いい人間もいるから。この申請の結果が出て、もう少し私たちとつき合えってもらえれば、私たちが信用できる人間だってわかりますよ」
「私、もう、信用してるあるよ。だから、大事なもの、みんな預けたでしょ」
明日は朝早いのに、疲れた顔も見せず、笑顔で手を振って別れたSさん。その姿を見て、彼女の未来の広がることを祈らずにはいられません。
いま、Sさんは、上海でビジネスを組み立てるために毎日活動しています。そして、ちょくちょくメールや電話で質問や報告をくれます。人を信じることのなかったSさん、自分の姉たちさえ信じられないと言っていたSさんが、ちょっぴり変わったようです。「はーい、加藤先生。なに、私、いま工場にいるですよ。サンプル、いま送ったほうがいい? 加藤先生も、上海来たら、一緒に工場見ますか?」
「工場かぁ。行ったほうがいいかもね。これじゃ、今度の上海、大連のBさんのときみたいになったりして」。しょうがねぇなぁ、とぼやくビジネスパートナー。
人や組織の未来を切り拓くことに関わったり、絶望を希望へとつなげたり、人の前向きな姿を感じることのできるこの人間臭い仕事が、私はけっこう好きかも。